Porte Bonheur

珈琲や美味しいもの、建築やデザインなど好きなものだけ。映画ブログではないつもり

ドキュメンタリー映画:アカーサ、僕たちの家

ストーリー
広大な自然と野生生物であふれるバカレシュティ貯水池。都市の中心にありながら人間に忘れられたその場所で、エナカ一家はひっそりと暮らしていた。そんなある日、貯水池の自然公園化が決まり、家族は街で普通の暮らしをするように強いられる。

 

 

 

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アカーサ、僕たちの家

 

 

兄弟が公園に帰ると言っても、僕は残ると言ったヴァリが一番全うに思えた。

新しい生活の中で、10代後半で読み書きすらできない事を思い知らされ

教育の大切さ、社会生活に必要な知識とマナーは何も与えられていなかった事を

彼は知ってしまったし、きちんと理解した。

 

大自然の中でのびのび育てるのは素晴らしいと思うんだけど

きっと父はあんな性格だからまともに仕事を続けていける

性格ではないと簡単に想像できる。

高卒で仕事に就いてはやめを繰り返していたら、そりゃ

公共料金も支払えないし、そこで「俺が常識」な人間は

「世の中がおかしい、俺は間違っていない」になる訳で

それで家賃や光熱費のかからない自然の中での暮らしを選んだのだと思います。

 

それでも良いのだけど、せめて通常の住居で

食事のマナーや言葉遣い、TVのニュースに子供を触れさせ

通学もさせなさいよ、と思う。

国の制度で家庭で教育を行なって良いのならOKだけど

あの両親では無理。

 

あの父を好きになるだけあってやはり母の方も「私が常識」と言う人間で

近所迷惑という概念がないらしく夜の部屋で音楽をかけて家族と

騒いでダンスするとか「公園では良かったけどここでやったら

ご近所さんの迷惑になるのよ」と教えてあげるのが親と言うものではないのか?と。

 

「ここに僕たちの居場所はない」

子供をそんな風な原始人のようにしてしまった両親に腹が立つ作品でした。

 

そして貧困、常識はずれな人間の”常識”で子作りだけは盛ん。

ヴァリにはそうなって欲しくなかったな。

自分はまだ学んで稼げるようにならなくては、と肌で感じていただろうに。

 

国の決まりでの良し悪しについて教えておらず

「池の魚を釣ったくらいなんなんだ」と言う自分の常識を警察に言い通す子供を見て不安になりました。

事件を起こすのを待ち構え、きっとやるだろうと見張っていた警察も汚いし

お腹を殴ったのは明らかな人種差別。

あの辺では”公園から来たジプシー”で知れ渡っていたんだろうな。

アパート住みになっても、自分のアパートではない物件のゴミ箱を

子供達に漁らせるのはダメだろう。

公園出身の子供には普通の事だから子供は悪くない。

一般社会の中では良くないことだと教えない親が悪い。

そんな事していたら子供が周りから差別されてしまう。

そこに考えが至らないのはマズイだろう。

 

 

父母どちらも毒親だと子供達にとってそれが普通になるから

公園には帰らず、どうか友人を作り自分と世間の考えの違いや

ある程度守るべき常識やマナーの存在を肌で感じてほしい。

 

 

 

今もGoogle Earthで見ると湖のそばにボロイ小屋があるのが気になった。

映像の中では取り壊していたし、屋根を覆っている物の色も違った。

湖の淵ではないから、バードウオッチングの小屋ではなさそう。

 

プロフィール


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