アパルトヘイト後の南アフリカ社会をリアルに描いた重厚なヒューマンドラマ
ストーリー
南アフリカ・ヨハネスブルグ。世界で一番危険なスラム。ツォツィと呼ばれる少年は仲間とつるんで窃盗やカージャックを繰り返し、怒りと憎しみだけを胸に日々を生き延びていた。しかし、ある出会いによって、ツォツィの人生は大きく変わり始める。
なかなか胸が痛む作品ですね。
まだ良心のカケラを持っているデイビッド(ツォツィ)、
自分を傷付けなかった事からツォツィの中の良心を見抜いたであろう
赤ちゃんの父親。
生毛に戻っても母は亡くなっているかもしれないし
父だけ残る家になんて戻ったら人生最悪ですよね。
人に頼み事をするという術を知らず、頼りになるのは銃だけ。
お願いの仕方もわからない、感謝の気持ちもよく分からないツォツィ。
でもそんなツォツィが数日の間にミリアムに「ありがとう」と発する事ができた事を
私はとても嬉しく思いました。
でも希望のない生活環境なのは変わりない訳ですよね。
財力にかなりの余裕を感じる赤ちゃんの両親が
ツォツィを養子にしてくれたらなぁなんて願ってしまいます。
そうなると引っ越さなければ、ツォツィの悪い連れが出入りしちゃいますけど
そこは財力でもう引っ越しましょう!って勝手に思います。
手遅れじゃないツォツィでも、またあの環境下で生きていくなら
真っ当になんて生きる事が許されない(雇用問題で)訳で
ミリアムに恋して、子持ちの彼女を支えたいと思えば尚更
高級車を盗んで引き渡すくらいしか、やれる事はないのかなぁ・・・。
良い人間になろうとしても理解できる頭の持ち主が周りにいないとキツイですよねぇ・・・。
はぁ、色々と思いを巡らせる作品です。
希望がないのよね、お金持ちが養子にしてくれるとか奇跡が起きないと。
赤ちゃん誘拐の罪で刑務所に入ったとしたら
そこで何か技能を習得して、少しでも給料を頂ける所を紹介してもらえたらなぁとか
ツォツィの少しでも良さそうな将来を願わずにいられません。
どんな環境下においてもまだ手の施し用がある人間と
そうでない人間が存在するよね、とまたスクール・デイズを思い出しました。