イラン北部の小さな村。アハマッド少年は、同級生・モハマッド=レザのノートを間違えて持ち帰ってしまった。「ノートを忘れたら退学だ」という先生の言葉を思い出したアハマッドは、ノートを届けに遠く離れた友達の家へと走りだすが…。
職業俳優を使わず、村の住人や子供、実際の家や学校を用いて撮影するキアロスタミ監督の撮影スタイルを象徴する作品であり、そのリアルな描写は彼の名を世界に知らしめた。
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いや〜、もうアハマッドが駆け出してからハラハラ。
どうかネマツァデの家に辿り着いて!と応援しながら見ました。
アハマッドの時間を最大限に喰ってくれたお爺さん2人には
もうもうもうもう!となります。
ドア職人のお爺さんに本当の事を告げないアハマッドの優しさと
余裕のなさがもうなんとも言えません。
アハマッドの祖父は4日に一度は父に殴られしつけられたおかげで
今があると言っている大人で
友人に「子供が叱る必要のない礼儀正しい子だったらどうする?」
と問われ「何か理由を見つけて4日に1回殴る。子供には躾が必要」と。
孫にタバコを持って来いと、ポケットに持っているのに言い
孫が無かったと言えば「お前が探したのか?」と。
アハマッドは正直者で母が探したと言ってしまい
「わしゃお前に探せと言ったんだ、探してこい」と言う始末。
こういう地域では
「殴る事はしつけの為、それに加え年長者の言う事には従う事も伝統的な行いで正しい事」と言う認識なのでしょうが
ポケットにあるタバコを二度も探させる、ポケットにある時点でそれはただの
意地悪だろう。殴られて育って精神的にねじ曲がってんじゃねーかと言いたくなる。
母親も忙しいのは分かるけど、子供の意見を聞こうとしない。
「年長者の言う事は絶対」そう言う思想は全てではないがおおよそ間違っているだろう。
はっきり言ってそう言う思想なら子供は産まないでほしい。
「世話ができないのに僕を産んだ」と両親を起訴する話(存在のない子供たち)もありましたが、できるならどんどんそうして欲しい。
教師も威圧的にしかるだけで、自分の遅刻は謝罪せず。
言っている内容も教師としてはレベルが低く、こんな教育でいいのか?と
子供たちが心配になる。
ここで育った子は、ずば抜けて地頭が賢く他人と違う考えを持った人でない限り
育った街とその周辺でしか職にありつけないと思う。
最終的には「最初からそうすればよかったのに」と言う感じなのですが
8歳の子供では「とにかく返さなきゃ友達が退学になっちゃう大ごと」なんですよね。
この作品、ノートを持って子供が友達の家を探し回る作品なのだけど
「そんな事を引き伸ばして映画にしてんじゃねーよ」と言う気持ちは全く
生じず、私はこの監督の作品をもっと見たくなりました。
アハマッドを演じたお子さんは、この監督の「オリーブの林をぬけて」
にも出演なさってるそうです。
wikipediaに本作に始まるコケールを舞台にした『そして人生はつづく』(1992年)、『オリーブの林をぬけて』(1994年)の3作を「コケール・トリロジー(英語版)」と呼ぶ。
とあってどちらも観る予定です。